MBTIとステレオタイプの怪しい関係

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心理学

ここに訪れる人はそれなりにMBTIや性格の類型に対して興味を抱く人であろう。
MBTIによって自己分析がはかどったり、或いは他者との
付き合い方にこれらを応用したりすることもあるだろう。

「私のこの性格はこのタイプの性質に起因するものなのだ」

と納得したり、あの人がこうなのはこのタイプだからだ、と
理解することもできる便利な道具として、多くの人は使っているのではないか。

このような性格診断を単なる占いと同じように取り扱う向きもあるが、
大学院であるハーバードビジネススクールの入学時に全員受けさせられ、
その結果を参考にさせることも実際にあるため、単なる占いとして
断ずるのは早計であると考えられる。

さて、本稿はこのMBTIという便利な道具に対して
少々の疑義を呈するものである。

そしてこの疑義は以下の文献『ステレオタイプの科学』によってなされるものであるため、
筆者の個人的な思い込みによるものではないことをここに示したい。

ところで、MBTIに関して以下のような言説を耳にしたり目にしたことがある
かもしれない。

ISFPは冒険家型であるとされ、
『冒険家型の人達は内向型で、人前から姿を消し、一人で息抜きすることもあり、友人たちを驚かせます。』

INFPに対しては
『INFPは基本的に内向型なので好奇心が高く、何にでも興味や関心を持ちやすいタイプだと思っています。』

ESTJに関しては
『責任感が強く、スケジュールをきちんと立てて、現実的なやり方で確実に進めることを好みます。ルールや規律を大切にします。』

しかし、このような言説に対して、興味深い説があるためそれを今から紹介する。

ステレオタイプの研究

まずこの本で使用されている用語を定義したい。

  • ステレオタイプ――あるカテゴリの人々にどういったイメージがあるか。社会的認知ともいわれる。
  • 偏見――ネガティブな他者へのイメージに対する拒否的、嫌悪的、敵意的な感情
  • 差別――偏見の感情に基づいた行動

今から、ステレオタイプ、偏見や差別といった術語を使うため、混乱を避ける目的で事前に紹介した。

「数学において同じくらい高い基礎学力を持つ男女を慎重に選び、難度の高い数学のテストをやらせたところ、女性は男性よりも出来がわるかった」

ステレオタイプの科学 p.56

という実験結果が出た。この結果に対して、当時ハーバード大学の学長だったローレンス・サマーズは

「トップレベルの能力を開花させる可能性は男女で差があるのではないか」

ステレオタイプの科学 p.55


という仮説を提示した。これは科学界のみならず、政治的な場面においても議論を呼んだ。
その結果サマーズの辞任が要求されることになり、ハーバード大学は不信任決議を可決しサマーズは自ら辞任を決めた。

おそらく本稿の読者の中にも「外国で女性差別発言をして辞めさせられた学者がいたな」ぐらいの覚えはあるかと思う。

著者らはこの実験結果を訝しむ。女性の数学の点数が男性のものより低いという結果に対して二種類の仮説が立てられた。

  • 「女性は数字に弱い」というステレオタイプが正しいと証明してしまうのではないかという不安を高め、実力を発揮できなくなったのではないか?
    (要するに緊張してしまったということ)
  • サマーズの立てたような、女性であることに由来すること

さて、得点に男女に差がないとどのように証明したか。
試験直前にこのように学生に声をかけたという。

「これから受けてもらうテストでは女性の成績はいつも男性と同じです」

ステレオタイプの科学 p.58

さて、どうなったか。
このテストの結果に性差はない。と説明された女子学生の点数は基礎学力が同レベルの男子学生の点数と同等だった。
女性の成績不振は消えてなくなった。というのだ。

このような事前の説明があると、男女のみならず白人や黒人といった人種間の成績の差もなくなるということも確認された。

MBTIとの関係の予想

さて、『ステレオタイプの科学』で紹介されている例はここに書いたもの以外にも豊富にあり、非常に興味深いものであると思われる。

この本の中には紹介されていなかったが、MBTIの中でも起こり得るものではないかと筆者は考える。
曰く

  • NTは人の心がわからない
  • SFはすぐに感情に振り回される

などといったステレオタイプが偏見となってしまい、実際に能力が奪われてしまうということも考え得る。

ユングの反論


では「タイプごとに得意不得意なんてないんじゃないか? 一人一人違うだけではないか?」という意見を取るべきだろうか?
しかしながら、MBTIを使用するのなら、ユングの論に立脚しないわけにもいかない。
ユングはその著書『タイプ論』に以下のように示している。

(性格に関する(筆者注))この輪郭を判読するのははなはだむずかしい。そしてそれがあまりにむずかしいので、どうしてもタイプの存在そのものを否定して、ただ一人一人が異なっているだけだと信じたくなりがちである

タイプ論 p.10


以上のようにタイプの否定はユング論の望むところではなく、MBTIを道具として使うにはユング論をとりあえずは肯定しなければならない。

ある種のステレオタイプを認識しつつ、それにこだわりすぎない。という二重思考のようなものを要する難儀なものとしてMBTIを使用していくことが求められるようだ。


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