MBTIが人気になってしまう理由について

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心理学

MBTIは近年、人気のあるコンテンツである。

google trendで10年前からじわじわと人気が伸びてきて、
ここ2、3年で一気に検索される件数が伸びたとグラフから読める。

その理由について考えてみたい。

現代は後期近代という時代だとギデンズは述べている。
その世界では確固たるものが何もなく、「今までやってきたら、伝統だから」
という理由すら成立せず、また新たに理由を絶え間なく考えなければならない。
(ギデンズ1993 pp.54-56)

そういった世界ではすべてのものが使い捨てであり、それに例外措置はなく
バウマンはこれを流動的な社会(リキッドライフ)と呼んだ。
(バウマン 2008 pp.10)

そのような、流動的な世界の中で人々は自己に対して、
自分自身が何なのであるか存在論的不安を抱き続けることになる

そこで、人々は何物にも相対化されない確固たる自己を欲することになる。
様々な価値観が存在する世界で相対化されない自己というものは、
議論の余地を与えない明快なものでなくてはならない。
それは、変化しやすい社会生活の中で形成されるものではなく、生来的なものであるべきだという
(土井 2009 pp.32-33)

そして、自らのキャラを分かりやすく単純化、平板化させて
複雑な人間関係を破綻させずに円滑に回していこうと必死になっていると述べている
(土井 2014 pp.70-71)

という先行研究がある。

ここから、筆者はMBTIは人間関係を破綻させないように
その自らのキャラを分かりやすく単純化、平板化させた「符号」なのではないかと考えた。

確かにMBTIはアルファベット四文字で自分の性格の紹介ができるものである。
「私はISTJです」と言えば、或る程度知識があればその人の性格がなんとなく把握できたような気がするのである。

これは従来であれば、血液型性格診断にあっても行われていた営みであるといえるが、
4つしかない型であるよりは、16種類の方が自分を深く分析してくれたような気がするからであろう。

尤もらしさ、という単語で表すならば、MBTIの方が血液型より尤もらしいのである。

そして、心理学を基にした診断であるために生来の自分、所謂本当の自分を見出せるのではないか? という期待もあると筆者は考える。

また、MBTIの基本理論はユングのものであるため、
より一層、通俗的には「深層心理」や「隠された自我」の発見の手助けになるものと
期待されているのかもしれないと考える。

自分の生来的な深層心理を学問的な「権威ある」方法によって診断し、
かつ分かりやすい符号で表現できる道具としてMBTIは受容されているのではないか。
(MBTI自体の学問的妥当さについてはまた別に論ずべきだが)

今後、このような「権威ある」性格診断やキャラ付けの技法は増えていくと予想できる。
その理由として我々の交流様式(コミュニケーションスタイル)がますます断片化していく考えられるからである。

ある一つの集団に属して、全人格的交流を図ることより、
様々な集団に少しずつ属して交流するという場面の方が、
これから多くなっていくことは予想に難くない。
筆者はこれを以て「断片化」と呼ぶことにする。

この断片化の進行によって、新たに出会う人と自分とうまくやっていけるかどうかを
出来るだけ短い時間で判断する必要性に駆られるだろう。
その時に有利な符号としての診断の種類がますます増えてくはずである。

また、どの診断を受けたかということ自体もある種の符号となって性格の呈示に資するようになるだろう。
「MBTIをやっている奴は基本メンヘラ」という言及があるならば、診断を受けたこと自体が符号になっていることの良い証左である。

このような世界はまだ数十年続くと考えらる。
我々の世界が安定して「大きな神話」を共有するまでの間、

「うちの性格診断の方が正確ですよ」
「いや、うちの方が完璧です」

という百家争鳴の状態は続くはずである。その混乱を鎮められるほどの大きな神話を作ることができる者が現れたとしたら、その者自体が、後に神と呼ばれるのである。

アンソニー・ギデンズ 松尾精文 小幡正敏 近代とはいかなる時代か 1993
ジクムント・バウマン 長谷川啓介 リキッドライフ 2008
土井隆義 キャラ化する/される子どもたち 2009
土井隆義 つながりを煽られる子どもたち 2014

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