性格診断というフォーマットについて

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心理学

EはI以外という意味ではないし、IもE以外という意味ではない。
“それでいて”、かつその二つで閉じていると主張できるということ。
閉じているとは要するに、EとI以外に分類される分かりやすい反例が存在しなさそうなところ。
(形式的に定義しなければ反証は原理的に不可能、その程度の話でしかないかもしれない。それはそうだ。しかし、感覚的にもそう感じるということ。それは無意味ではない。それを無意味とするのは科学主義の病理だ。)
即ち、相反しつつ、かつ偏重する性質があれば、それは性格を語る際に非常に役に立つ。
相反するだけでは、性格とは言い難い。
同時に成り立たないことを俺達はいつもしている。
偏重するだけでは、性格とは言い難い。
ご飯を食べるのは俺の性格だろうか。
相反しつつ偏重するということ。

これは重要なので、繰り返しておく。

相反しつつ偏重すると言うこと。
例えば、E性とI性が相反していなければ、その二つに区別が付かないだろう。これは当然の話。
次に、偏重する傾向がなければ、その二つの相反するだけの性質は、両方が特定の確率で行われる程度のものでありうる。I性とE性がランダムに吐出される程度のものならば、それら二つが相反していても性格とは言い難い。IはI的行動を好み、EはE的行動を好むのでなければならないと。
性格という任意の指標なしではただのカオスとして分析がし辛いものをこうすることによって面白く語ることができる。
ここで冒頭の言葉を思い出してほしい。

EはI以外という意味ではないし、IもE以外という意味ではない。
“それでいて”、かつその二つで閉じていると主張できるということ。

これは、Aかつ非Aという形式的に、自明に二つに絞れるという方法を取っていない。
Aとそれ以外、それ以外とAという分類が性格においてできるという主張ならば、それは性格を問題にしていない形式的真理だ。しかし、ある程度有意味で、非自明な形式でEとIに二分できるという主張が罷り通っている。
これは、驚くべきことではないだろうか。

エニアグラムに関してはもっと驚くべきことを言っている。相反が二項対立ではなく、9個。それでいて閉じている(っぽい)のだ。これは驚くべきことではないだろうか。
二項対立ならば、これに比べかなり敷居が低い。人間は強い奴と弱い奴に分けられると言われると、割と納得感があるだろう。(それでいて、強い奴でなければ弱い奴と言っているわけでもなく、かつ閉じている、必ず二つに分類できる。というのは、矛盾だろうか。やはり強い奴なのは強い奴だからであり、弱い奴でない事が強い奴であることの根拠にはならないから良いのではないか。それでいて、勿論E以外とはIの事である。E以外がIというのはここ、類型論では結果であり、事実である。”主張”である。論拠ではない。要するにちゃんと偏重する方向性としてEとIという二分になっているのであり、例えばカレーとカレー以外などと言うその後者、カレー以外に対しては複雑すぎて何も言及できない。という形相を醸し出してはいない。という事だ。こういう簡単な話も厳密にしようとすると驚くほど紙面を食うな。いってもこの辺は印象雑なので、訂正するかもしれない。)
要するに、単なるなんでもありの全てを覆える二分法ならどれでも良いわけではなく、”逆的な概念“であると言いたい。
逆というのは理解しやすい。ありふれている。逆とその逆である種の全てが覆えるというのはほば逆にの定義と言って差し支え無さそうだ。
しかしエニアグラムは二項対立ではない。恐るべき分かりやすさでゾロアスター教の時代から多大なる支持を仰いできた二項対立ではない。9なのだ。それでいて閉じている。要するに、逆という強い概念を使用せず、”ちゃんと、この世に存在する性格はこの9種類しかない”と述べているわけだ。これは恐ろしいことである。そして、9種類のどれにも当てはまらないという人間は殆ど散見されない診断である。シンプルにすごい。まぁ、どのタイプか分からないというお話があるのでうまく行ってない部分もあるが。トライタイプなどもカオスを9個に押し込めようとした補償などとして解釈できるか。これは推測だが、恐らく人間は性格診断を与えられると、”この中に完全に俺に当てはまるものはない”という正確化的方向性の反駁によって、カオスを離散的な構造に押し込める性格診断に抵抗する人間
https://organofsaul.hatenablog.com/entry/2019/09/28/223551 
(効率化と正確化に関してはこのサイトを参照のこと。)よりも、これにもあれにも一応当てはまるという効率化的視点の方向性で、カオスは自分に当て嵌めようと思えば当てはめれてしまうという方向性で性格診断を揺るがす人間の方が、多い。(これは生存バイアスだろうか。前者は要するに、界隈に参入しようとは思わないのかもしれない。)
しかもエニアグラムは段階表という概念がある。これは時間を参入させている。これもかなり凄い事を言っている。要するに段階表が成立するという事は、”各々ののタイプに必然的かつ、マクロな進む方向性がある“という事を言っている。これはかなり凄い。エニアはタイプ4でも人それぞれ、とはMBTI(もどき)より言わないのだ。不健全ならこうなる、健全ならこうなっていく、と言っている。そりゃあ勿論蓋然性の主張であろうが、内的な構えからほぼ必然的に行動な時間的方向性まで導けるというのはかなりMBTIより色々言っている。その段階表にもしかも異論はあまり見受けられない。皆納得していく。


それは性格診断が正確だからなのか(性格だけに)。
俺たちが理論と自らを同定する基準が緩いからなのか。これは表裏一体の命題であり、判定する術はない。 同定基準を緩くすれば自分はどのタイプにもなり、厳しくすれば貴方は常にオンリーワン。常に性格診断とはその中間に位置するものである。

自認がわからない。それは本当に理論の問題だろうか。貴方の匙加減という視点があまりに無視されてきていないだろうか。

以上。

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